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高松家庭裁判所丸亀支部 昭和38年(家)317号 審判 1964年6月09日

申立人 原田安男(仮名) 外一名

右法定代理人親権者母 原田トキ子(仮名)

主文

申立人原田安男、同原田幸子の氏「原田」をいずれも本籍香川県丸亀市○○町○○○○番地、住所同市○町○○番地父村上忠彦の氏である「村上」と変更することを許可する。

理由

申立人両名は申立人等の氏「原田」を父の氏「村上」に変更することを許可するとの審判を求め、その理由の要旨は申立人安男は昭和三二年一二月五日、又申立人幸子は昭和三五年六月二三日いずれも申立人等の親権者原田トキ子と村上忠彦との間に婚姻外の子として出生したが右忠彦は昭和三八年一〇月九日右安男、幸子を認知した。

右両名は各出生以来、母の膝下において養育されているが、将来の仕合わせを考え母の氏を称するより父の戸籍に入りこれと同一氏を称したく本申立に及んだというのである。

一、申立人両名がそれぞれ原田トキ子の非嫡出子であつて、父村上忠彦より昭和三八年一〇月九日認知されたことおよび同人らの親権者が母原田トキ子であることは本件記録中の戸籍謄本によつて明かである。

二、前認定事実に村上忠彦、村上京子および申立人両名法定代理人原田トキ子を審問した結果ならびに当庁調査官小杉豊の調査報告書を綜合すれば原田トキ子は妻子ある村上忠彦と情を通じ申立人両名を前示の年月日にそれぞれ生んだのでトキ子の男として申立人安男、女として申立人幸子の各出生届を了したことならびに右村上忠彦において昭和三八年一〇月九日右両児を認知したことが認められる。

尤も右村上忠彦は認知の事実を否定するが、認知無効に基いて戸籍が訂正されない限り、子の氏変更の問題は戸籍の記載に従つて判断すべきものと解するから、この前提に立つてその当否を考察する。

さて、民法第七九一条による子の氏変更許可の基準については現行法何らの定めがないが、関係人の利害感情を考慮に容れながら子の将来の幸福を中心としてその許否を決するのが同法の精神であると思料され、この観点から本件を検討するに父である村上忠彦は地域における知名の開業医(医師一名看護婦等一〇数名の雇傭者がある)であるから申立人両名がその氏を称することはまさに社会的経済的利益を亨受する結果となることは疑を容れない。

従つて右のような特別の事情の存する限り、たとい父忠彦と共同生活がなされておらず、かつまた同人およびその妻村上京子において「村上」氏を称するにつき反対していても現状としては、その子らの幸福のため氏変更を許可するのが相当である。

よつて申立人両名の本件申立を許容し、主文のとおり審判する。

(家事審判官 萩原敏一)

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